明太子の元祖、樋口商店

戦前の明太子の元祖という看板で販売をしていた樋口商店というのが存在します。 これは明治40年頃に樋口伊都羽(ひぐちいづは)が創業した朝鮮半島の代表的な明太子製造問屋です。

この樋口伊都羽、樋口商店について明太子開発史(2008)では以下のように記載されています。

(前略)明治5年東京で生まれた樋口伊都羽(以下伊都羽と略称)は番町小学校を卒業後、明治30年代、生活困窮の中、朝鮮に渡り警察官となるが、のち水産業を目指す。明治40年頃、元山で明太漁業等に従事する。

この間、伊都羽は元山の漁民が明太を魚体だけ素乾用とし、明太卵は漁民の自家用程度で捨てられているのを見て、日本向けに明太卵の商品化は出来ないかと考える。
(引用:明太子開発史、2008(平成20)年)


1905(明治38)年、日露戦争終結、下関と釜山間を結ぶ関釜連絡船就航。釜山、京城間の鉄道完成による東京、下関、釜山、京城間交通網の完成等から、伊都羽(当時35歳)は釜山を将来の朝鮮半島、中国等への要、最大拠点と考え、明治41年頃、店を釜山大廳通り富平町1丁目2番地に移す。

伊都羽は「明太子製造元祖ヒ(マルヒ)、創業明治40年、樋口伊都羽商店」という看板を玄関に掲げた.。

(引用:明太子開発史、2008(平成20)年)

樋口商店で使用していた封筒にも「元祖ヒ(マルヒ)明太子製造卸売商 樋口商店」と書かれていることが確認でき、下側にある印には「明太魚子製造卸販売商 元祖樋口商店 朝鮮釜山府大廳通」とあります。




(資料:樋口丈治 (会津若松市)蔵 1927(昭和2)年)

また昭和2年2月25日、伊都羽は会津にいた弟の良乃(よしの)へ会津で明太子の製造、販売を行わないかと手紙を送っています。


(資料:樋口丈治 (会津若松市)蔵 1927(昭和2)年)

釜山から日本へのネットワークも考えるほどに樋口商店は繁盛していました。



この他にも明太子の需要を示す資料として、大正中期以後に行政の水産物増産、外貨獲得の一環として出された明太子製造奨励があります。

明太子(卵)製品化奨励
(資料:樫田一郎、朝鮮之水産(大正13年6月号)、1924(大正13)年)


これによって明太子は日本、台湾、中国にその需要を増やしました。



また昭和9年には「釜山商工案内」に明太子を扱う業者として樋口伊都羽の名前が掲載されました。明太子が明太子専門店となるだけの扱い高と需要を持ったのです。
左:明太子専門店樋口伊都羽の記述
項目名は上から営業職別、営業税、住所、営業者
(資料:釜山商工案内(1934(昭和9)年)復刻版、2001(平成13)年)

右:塩辛類を扱う樋口伊都羽の記載
(資料:帝国水産商家要覧、水産新報社、1916(大正5)年)


この年の内地向け明太子は1560.6トンでこのうち下関が1344.9トンで全体の86.1%を占めています。


地方別明卵消費量 1934(昭和9)年
(資料:朝鮮明太魚、鄭文基、朝鮮之水産、1936(昭和11)年)


1樽:5貫目(18.75kg)入
内地向:8万3237樽:1560.6トン
(内、下関71,729樽:1344.9トン 86.1%を占める)

しかし、1941(昭和16)年に太平洋戦争が勃発し、明太子の生産量も次第に戦争の影響を受けて減少していきました。

そして戦後
昭和28年5月25日に樋口伊都羽の書いた自筆の文書が存在します。

(資料:樋口丈治 (会津若松市)蔵)

明治40年、韓国元山にて漁業に従事、次いで、江原道嚢陽郡において明太子製造に従事し、釜山において、販売、販路を拡張、隆盛を極む、昭和廿(20)年十一月八日、釜山引揚げ迄続く、三八(38)年続く。



これより明太子の製造、販売は終戦まで行われていた事がわかります。
ではその後、伊都羽は明太子に関わったのでしょうか?

明太子開発史では以下のように書かれています。
戊辰戦争後の旧会津藩士の子として生まれ、旧会津藩士に対する世間の冷遇、貧困の中から、青雲の志を持って朝鮮へ渡り、明治40年以後、明太子の元祖とも言われる樋口伊都羽は事業家として世間に認められ、明太子事業を軌道にのせた後、終戦。
樋口家に代々伝わる「歳長」の名刀も釜山に残し、一代で築きあげた財産、事業基盤等を一切を失い、昭和20年11月、釜山からの引揚げ船で博多に入港後、妻こまと女婿中西幸之助の郷里三重県に引揚げ、明太子とは離れた農業に従事した。
昭和31年1月、85歳で波乱の人生を終え、東京都青山墓地、旧会津藩士の墓に眠る。
(引用:明太子開発史、2008(平成20)年)




伊都羽は戦後の明太子製造販売に関わりませんでしたが、戦前の明太子の普及に大きく貢献した重要な人物です。

樋口商店、樋口伊都羽に関する資料をお持ちの方がおられましたら、是非ご連絡下さい。



・参考文献・
明太子開発史